『こころ』のあらすじを、集英社文庫は

恋人を得るために親友を裏切り、自殺へと追いこんだ。その過去の罪悪感に苦しみ、自らもまた死を選ぶ「先生」…。愛と偽善、誠実の意味を追究した傑作。

ちくま文庫は

友を死に追いやった「罪の意識」によって、ついには人間不信にいたる悲惨な心の暗部を描いた傑作。

角川文庫は

遺書には、先生の過去が綴られていた。のちに妻とする下宿先のお嬢さんをめぐる、親友Kとの秘密だった。死に至る過程と、エゴイズム、世代意識を扱った、後期三部作の終曲にして、漱石文学の絶頂をなす作品。

と説明していますが、これらの定番解釈は「表」しか見えていない的外れなものなので、頭から捨て去ってください。『こころ』の主題は先生のエゴイズムや罪悪感ではなく、人間心理(特に恋愛感情)のです。学生時代の先生が「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」の「一言でKの前に横たわる恋の行手を塞ごうとした」のがお嬢さんをKに取られないためではなかったことや、先生の苦悩と自殺の原因がKを自殺に追い込んだことへの罪悪感ではなかったことを読み取らなければなりません。

出版の際の広告文(キャッチコピー)は、『こころ』が題名の通り、人間心理をテーマにした作品であることを示しています。

夏目漱石 『心』広告文

自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。

漱石は人間心理を精密に描くことを目指していました。

夏目漱石 文芸の哲学的基礎

文学者の方でも同性質、同傾向、同境遇、同年輩の男でも、その間に微妙な区別を認め得るくらいな眼光がないと、人を視る力の発達した今日においては、性格を描写したとは申されないのであります。したがって人間をかく文学者は、単に文学者ではならん、要するに人間を識別する能力が発達した人でなくてはならんのです。

画家が人体を正確に描くために解剖学や透視図法を用いるように、漱石は心理学や社会学を用いて人間心理を描きました。漱石の文学は、個人の経験に頼ったアートではなく、学術的根拠に基づくサイエンスの産物なのです。

不幸にして余の文学論は十年計画にて企てられたる大事業の上、重に心理学社会学の方面より根本的に文学の活動力を論じるが主意なれば、学生諸子に向って講ずべきほど体を具せず。

当時の西洋の心理学では「無意識の発見」が一大ブームになっていました。

深層心理学 - Wikipedia

深層心理学の基本的な理論構想は、人間の心(魂)には意識の下層において、更に深い層が存在し、無意識的なプロセスがこれらの層にあって進行しており、日常生活の心理に対し大きな影響を及ぼしていると云うものである。

深層心理学に関するこのような考えは、哲学の分野ではショーペンハウアーやニーチェなどの先駆者によって、またロマン主義の文学などで構想されていた。同時代においても、ウィリアム・ジェイムズやピエール・ジャネなどが概念を吟味しており、スイスのカール・ユングもまた独自に理論を模索していた。

これらのなかで、ウィーンのジークムント・フロイトがこの仮説を、初めて系統的・学問的な方法で研究し、「無意識の発見」とも呼ばれるその理論形成において、人間の日常生活における心の働きのありようについて、広範囲な影響力を有した帰結を導き出した。

漱石も無意識に言及しています。

夏目漱石 思い出す事など

[十七]

吾々の意識には敷居のような境界線があって、その線の下は暗く、その線の上は明らかであるとは現代の心理学者が一般に認識する議論のように見えるし、またわが経験に照らしても至極と思われるが、肉体と共に活動する心的現象に斯様の作用があったにしたところで、わが暗中の意識すなわちこれ死後の意識とは受取れない。

無意識の発見によって「自分の心の奥底に別の自分が潜んでいる」という人間観が社会に広がります。イギリスではロバート・ルイス・スティーヴンソンやオスカー・ワイルドがこの人間観にインスパイアされて傑作小説を書きますが、漱石がそれらからヒントを得て『こころ』を書いたことはほぼ確実です。スティーヴンソンのJHやワイルドのDGに相当するのが先生です。

「私」と「先生」は、過去の自分が無意識に動かされていたことを認識しています。

[上・四]

私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのか解らなかった。それが先生の亡くなった今日になって、始めて解って来た。

[上・十四]

「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより外に仕方がないのです」

「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」

「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常に怖くなったんです」

先生は、人間の無意識には「悪人」が潜んでいると語っています。

[上・二十八]

「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」

悪人が表に出てくる原因の一つが金(カネ)です。

[上・二十九]

「さきほど先生のいわれた、人間は誰でもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか」

「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」

先生の叔父は金に目が眩んで悪人になりましたが、先生を悪人にしたのは金ではなく恋愛です。

[下・五十四]

世間はどうあろうともこの己は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他に愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。

先生の恋愛にはがありました。

[上・十二]

私の仮定ははたして誤らなかった。けれども私はただ恋の半面だけを想像に描き得たに過ぎなかった。先生は美しい恋愛に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨なものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。

私は今この悲劇について何事も語らない。その悲劇のためにむしろ生れ出たともいえる二人の恋愛については、先刻いった通りであった。二人とも私にはほとんど何も話してくれなかった。奥さんは慎みのために、先生はまたそれ以上の深い理由のために。

その恋愛について、先生が私に語った主な内容です。

[上・十二]

「君は今あの男と女を見て、冷評しましたね。あの冷評のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交っていましょう」

「そんな風に聞こえましたか」

「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」

私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。

[上・十三]

「恋は罪悪ですか」と私がその時突然聞いた。

罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。

「なぜですか」

「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでにで動いているじゃありませんか」

「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」

「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」

「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」

「私には二つのものが全く性質を異にしているように思われます」

「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」

「また悪い事をいった。焦慮せるのが悪いと思って、説明しようとすると、その説明がまたあなたを焦慮せるような結果になる。どうも仕方がない。この問題はこれで止めましょう。とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」

私には先生の話がますます解らなくなった。しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった。

この話に対応するのが遺書のこの部分です。

[下・十四]

私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。お嬢さんの事を考えると、気高い気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕まえたものです。私はもとより人間としてを離れる事のできない身体でした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全くの臭いを帯びていませんでした。

これらを整理すると、

〈表〉〈裏〉

 美しい恋愛恐ろしい悲劇

愛の高い端愛の低い端

神聖性欲

 宗教心肉の臭い

異性同性

神聖罪悪

となりますが、に当てはまるのは誰でしょうか(静はお嬢さん→妻)。

先生を自殺に追い込んだのは、生まれた時から無意識に潜んでいた裏の人格(別の自分)でした。

[下・五十四]

私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃きました。初めはそれが偶然外から襲って来るのです。私は驚きました。私はぞっとしました。しかししばらくしている中に、私の心がその物凄い閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでいるもののごとくに思われ出して来たのです。私はそうした心持になるたびに、自分の頭がどうかしたのではなかろうかと疑ってみました。けれども私は医者にも誰にも診てもらう気にはなりませんでした。

[下・五十四]

「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟で躍り上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと抑え付けるようにいって聞かせます。すると私はその一言で直ぐたりと萎れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何で他の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷やかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。

いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。

「恐ろしい影」「不可思議な恐ろしい力」の正体がわかると、作品全体が全く違って見えてくるはずです。『こころ』は漱石がスティーヴンソンたちの先行作品を「模倣」したことを気付かせないほど「独立」したオリジナルに仕上げた野心作なのです。

夏目漱石 模倣と独立

繰り返して申しますが、イミテーションは決して悪いとは私は思っておらない。どんなオリヂナルの人でも、人から切り離されて、自分から切り離して、自身で新しい道を行ける人は一人もありません。

しかし考えるとそう真似ばかりしておらないで、自分から本式のオリヂナル、本式のインデペンデントになるべき時期はもう来ても宜しい。また来るべきはずである。

あくまでもどうも西洋は偉い偉いと言わなくても、もう少しインデペンデントになって、西洋をやっつけるまでには行かないまでも、少しはイミテーションをそうしないようにしたい。

人間にはがある。私は私をここに現わしていると同時に人間を現わしている。それが人間である。両面を持っていなければ私は人間とはいわれないと思う。唯どっちが今重いかというと、人と一緒になって人の後に喰っ付いて行く人よりも、自分から何かしたい、こういう方が今の日本の状況から言えば大切であろうと思うのであります。

《1906年10月21日森田草平宛書簡》

余は吾文を以て百代の後に伝へんと欲する野心家なり。

Clue #1

先生が私に「恋は罪悪ですよ」と語った上野の公園は、

[上・十二]

ただ一つ私の記憶に残っている事がある。或る時花時分に私は先生といっしょに上野へ行った。そうしてそこで美しい一対の男女を見た。彼らは睦まじそうに寄り添って花の下を歩いていた。

先生がKに恋を断念させるために「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言い放った場所でもあります。

[下・四十]

二人は別に行く所もなかったので、竜岡町から池の端へ出て、上野の公園の中へ入りました。

[下・四十一]

私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」といい放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言でKの前に横たわる恋の行手を塞ごうとしたのです。

要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。

精神的に向上心のないものは、馬鹿だ

私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。

先生はKのことを思い出しながら私と会話していたのです。

[上・十三]

「君は私がなぜ毎月雑司ヶ谷の墓地に埋っている友人の墓へ参るのか知っていますか」

Clue #2

先生と妻が「最も幸福に生れた人間の一対」になれないのは、

[上・十二]

「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」

私は今前後の行き掛りを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか、判然いう事ができない。けれども先生の態度の真面目であったのと、調子の沈んでいたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。私は心の中で疑らざるを得なかった。

二人の心がぴたりと一つになれないためです。

[下・五十四]

妻はある時、男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかといいました。私はただ若い時ならなれるだろうと曖昧な返事をしておきました。妻は自分の過去を振り返って眺めているようでしたが、やがて微かな溜息を洩らしました。

私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻に対して非常に気の毒な気がします。

[上・十九]

自分と夫の間には何の蟠まりもない、またないはずであるのに、やはり何かある。それだのに眼を開けて見極めようとすると、やはり何にもない。奥さんの苦にする要点はここにあった。

二人が一つになることを妨げる「一点」とは何でしょうか。ヒントは夫婦の性生活をほのめかすこの会話です。

[上・八]

「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いていった。私は「そうですな」と答えた。しかし私の心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅いもののように考えていた。

「一人貰ってやろうか」と先生がいった。

「貰ッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた

子供はいつまで経ったってできっこないよ」と先生がいった。

奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。

Clue #3

」を誇示していた人物といえば、鎌倉で先生と一緒に海水浴をしていた白人男性です。この肉体系(?)白人と先生はどのような関係でしょうか。

[上・二]

その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否や、すぐ私の注意を惹いた。純粋の日本の浴衣を着ていた彼は、それを床几の上にすぽりと放り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿く猿股一つの外何物も肌に着けていなかった。私にはそれが第一不思議だった。私はその二日前に由井が浜まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺めていた。私の尻をおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍がホテルの裏口になっていたので、私の凝としている間に、大分多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股は出していなかった。女は殊更を隠しがちであった。大抵は頭に護謨製の頭巾を被って、海老茶や紺や藍の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済まして皆なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。

先生が私の問いをはぐらかしたことがヒントです。

[上・三]

私はこの間の西洋人の事を聞いてみた。先生は彼の風変りのところや、もう鎌倉にいない事や、色々の話をした末、日本人にさえあまり交際をもたないのに、そういう外国人と近付きになったのは不思議だといったりした。

鎌倉での先生が、東京とは違って精力に満ち溢れていた理由も考えてください。

Clue #4

先生のこの恋愛感情分析は、

[上・十三]

「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」

フロイトのものと同じです。

フロイトによると、人間の性愛の対象は、成長の過程で、自己→同性→異性と変わっていきます。

したがって、思春期における同性愛的感情は、むしろ自然なことなのです。

「異性性愛」というのは人間が発達するなかで、わりと成熟し安定したところで達する段階なんです。成熟しているから偉いというわけではなくてね。異性愛者の人が安定して幸せを享受する段階が「異性性愛」だとするなら、「同性」にばかり気がいってしまっている状況というのは、成熟の手前でブロックされている状態

漱石が当時最先端の心理学を参考にしていた証拠の一つです。

Clue #5

女に性的に魅かれないところが私と先生の共通点です。つまり、二人はフロイト的には「成熟の手前でブロックされている状態」なのです。

[上・十八]

私は女というものに深い交際をした経験のない迂闊な青年であった。男としての私は、異性に対する本能から、憧憬の目的物として常に女を夢みていた。けれどもそれは懐かしい春の雲を眺めるような心持で、ただ漠然と夢みていたに過ぎなかった。だから実際の女の前へ出ると、私の感情が突然変る事が時々あった。私は自分の前に現われた女のために引き付けられる代りに、その場に臨んでかえって変な反撥力を感じた

[下・七]

私が十六、七の時でしたろう、始めて世の中に美しいものがあるという事実を発見した時には、一度にはっと驚きました。何遍も自分の眼を疑って、何遍も自分の眼を擦りました。そうして心の中でああ美しいと叫びました。十六、七といえば、男でも女でも、俗にいう色気の付く頃です。色気の付いた私は世の中にある美しいものの代表者として、始めて女を見る事ができたのです。今までその存在に少しも気の付かなかった異性に対して、盲目の眼が忽ち開いたのです。それ以来私の天地は全く新しいものとなりました。

[上・十]

私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。

先生は妻との「安定して幸せを享受する段階」に到達できずに自殺してしまいますが、私は先生の告白を参考にすることで、ブロックを突破して成熟に達することができたのでしょうか。それこそが『こころ』の最後の謎です。

[下・二]

私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを凝と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫みなさい。私の暗いというのは、固より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分違ったところがあるかも知れません。しかしどう間違っても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着ではありません。だからこれから発達しようというあなたには幾分か参考になるだろうと思うのです。

[中・十五]

「お前ここへ帰って来て、宅の事を監理する気がないか」と兄が私を顧みた。私は何とも答えなかった。

「お母さん一人じゃ、どうする事もできないだろう」と兄がまたいった。兄は私を土の臭いを嗅いで朽ちて行っても惜しくないように見ていた。

「本を読むだけなら、田舎でも充分できるし、それに働く必要もなくなるし、ちょうど好いだろう」

「兄さんが帰って来るのが順ですね」と私がいった。

「おれにそんな事ができるものか」と兄は一口に斥けた。兄の腹の中には、世の中でこれから仕事をしようという気が充ち満ちていた。

「お前がいやなら、まあ伯父さんにでも世話を頼むんだが、それにしてもお母さんはどっちかで引き取らなくっちゃなるまい」

「お母さんがここを動くか動かないかがすでに大きな疑問ですよ」

兄弟はまだ父の死なない前から、父の死んだ後について、こんな風に語り合った。