警告:この記事にはネタバレが含まれます。自力で読解したい人は速やかに退出してください。

この読解をトンデモと思った人は、その判断が根拠と論理に基づいたものか、偏見・嫌悪感に基づいたものか、自分の「心の底」をよく眺めてください。

 

さーもんさんからの質問にお答えします。 

一つ目の質問。

ホモという意味で、先生がKの部屋に飛び込みたいほどKのことで頭がいっぱいで、Kの姿を想像するために散歩をするぐらいだというのなら、Kとふたりっきりになれた旅行の折に、Kよりもお嬢さんと一緒に行きたかった、というような事を思うでしょうか。

先生がホモで、Kがお嬢さんを好きだったということであれば、先生にとってお嬢さんはKを取り合う恋仇と云うことになります。

ブログ主様の表現を拝借するなら、「読者なら、好きな人と二人きりで旅行に行ったときに、好きな人よりも恋仇と一緒に旅行をしたかったと思うでしょうか。」ということになるでしょうか。

当該箇所です。

[下・二十八]

私は自分の傍にこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事がよくありました。 

まず、先生は「 Kよりもお嬢さんと一緒に行きたかった」とは言っていません。料理に例えると、先生にとってKはお目当てのメインディッシュ、お嬢さんはおまけのデザートに相当します。Kが「自分の傍にこうじっとして坐っている」とはメインディッシュを堪能できている状態なので、デザートを考える余裕が生まれているのです。先生のお目当てがお嬢さんではなくKであることは、奥さんの助力を得て旅行に無理やり連れ出したことや、Kがお嬢さんのことを考えていると疑うだけでヒステリーを起こすことからも明らかです。

また、この時点では先生は「Kは恋愛とは無縁」と信じ切っているので、無意識においてもお嬢さんが自分のKへの恋の障害とは認識していません。

二つ目の質問は

ホモの人からすれば、異性愛(ヘテロ)はちょうど異性愛者がホモをそう思うように、「気持ちが悪い」との話を聞いたことが複数回あります。

つまり、ホモの実感・実体験を持ち出すのであれば、異性愛と同性愛に神聖な愛と劣情という二面性、二項対立を当てはめた作品の構成自体に無理がある、という帰結になってしまうと思うのです。

こういうわけで、 先生ホモ説には多少の無理があると思うのですが、如何でしょう。 

ですが、「気持ちが悪い」と感じるのは主に肉体的・性的な親密な接触の場合なので、下の記事のアメリカ人男性のように、そのような状況になるまで自分が同性愛者だと気付かない人も珍しくありません。

www.theatlantic.com

www.huffingtonpost.com

やや強引な例えですが、静と先生は宝塚歌劇団のスターとその熱狂的な女性ファン(ヘテロ)に相当します。ファンが「スターを独占したい」という熱情を抱くからといって、「スターとセックスしたい」とは思わないでしょう(もちろん例外はいますが)。女スターへの熱情と男への性欲が両立しているのが普通です。

「精神の愛と肉体の愛の分裂」という設定に無理があるかどうかは読者の判断に任されていますが、先生が同性愛者でなければ、その言動を整合的に理解することができないことは当ブログで論証しています。

oshiete.goo.ne.jp

私の夫は「性欲のみ男性、恋愛感情は女性にある」と本人が言っていました。なので、私のことを恋愛対象として見てくれていたこと、人間として好きだと思ってくれていたことは確かだと思います。

ところで、上の[下・二十八]の引用に続く部分における先生の言動は明らかにヒストリーですが、

それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱いて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然疑い出すのです。すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。私は不意に立ち上ります。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴ります。纏まった詩だの歌だのを面白そうに吟ずるような手緩い事はできないのです。ただ野蛮人のごとくにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸を後ろからぐいと攫みました。こうして海の中へ突き落したらどうするといってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好い、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を抑えた手を放しました。

当時からヒステリーは「女の病」とされていました。

明治の中頃から大正期にかけて、神経衰弱は男の、ヒステリーは女の病であり続けた。

神経衰弱が生存競争の「病」という社会進化論的パラダイムによって語られるようになっている一方、ヒステリーはセクシュアリティーの病としての性格を強めている。

この時代、神経衰弱とヒステリーは単に「精神」の病ではない。「肉体」の病でもあった。だからこそ、この二つの病には容易に可視化できる「肉体」上の条件、すなわち性別が反映されたのに違いない。

一方、Kは神経衰弱だったと先生は語っています。

[下・二十二]

彼はむしろ神経衰弱に罹っているくらいなのです。 

性愛において「先生は女・Kは男」の設定だったことを示す論拠の一つです。