この記事の解答編です。問題編を先に読んでください。

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警告:この記事にはネタバレが含まれます。自力で読解したい人は速やかに退出してください。

この読解をトンデモと思った人は、その判断が根拠と論理に基づいたものか、偏見・嫌悪感に基づいたものか、自分の「心の底」をよく眺めてください。

 

『こころ』は、同性愛者(ホモセクシュアル、ゲイ)が「同性愛を自覚していなかった過去の自分」を回想する「人間の二面性」が主題の小説です。[上]と[中]が私、[下]が先生の回想になります。

「裏」「悲劇」が同性愛のことです。

[上・十二]

先生は美しい恋愛に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨なものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。

[下・十四]

もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕まえたものです。私はもとより人間としてを離れる事のできない身体でした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私のは、全くの臭いを帯びていませんでした。

  • 表:静―愛の高い端―神聖―心―神聖―異性―美しい恋愛
  • 裏:―愛の低い端―性欲―肉―罪悪―同性―恐ろしい悲劇
①私が先生に付きまとった理由

私が先生に「同類」を直感して一目惚れしたため。「不思議」が同性愛のことです。

[上・六]

私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。 

②先生が西洋人と行動を共にしていた理由

白人男性は同性愛行為(セックス)の相手です。三島由紀夫の『禁色』にも、主人公に執心する外国人が登場します。

③「子供はいつまで経ったってできっこない」理由

先生は女相手では性的不能でセックスレスだから。

④先生が女にセックスアピールを感じない理由

同性愛者だから。

⑤私が死期が迫った父を置いて東京に向かった理由

私の無意識では先生が「一番大切な人」だから。

⑥先生がお嬢さんと向き合うと苦しくなった理由

お嬢さんが自分に「男」として好意を持っていることを感じたから。

⑦先生が奥さんの反対とKの抵抗を押し切って、Kを下宿に連れて来た理由

⑤の私と同様、先生は無意識でKに恋していたから。大切な人が苦境に陥っていたら救いたくなるのは自然なことです。

⑧先生がKと同室で暮らすことを望んだ理由

恋人と同棲したかったから。Kにはその気がないので拒否されました。

⑨先生がKを無理やり房州旅行に連れ出した理由

二人水入らずの時間を過ごしたかったから。

⑩先生が「野蛮人のごとく」わめいた理由

先生の想いにKが応えてくれないから。「相手を得られないという不快の声」です。

[上・十二]

「君は今あの男と女を見て、冷評しましたね。あの冷評のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交っていましょう」  

[下・二十九]

私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒い漆で重く塗り固められたのも同然でした。私の注ぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、悉く弾き返されてしまうのです。 

 ⑪Kから静への恋を聞かされた後、先生の頭が「Kの事でいっぱい」になった理由

Kに恋する先生にとっては、Kが静と両想いになることが最悪の事態だったから。

⑫「変な心持」とは何のことか

ラノベによくある「意識していなかった幼馴染に、偶然の機会に“異性”を感じた」と同じシチュエーションです。

⑬Kの自殺を知った時とKから恋について聞かされた時の「感じ」が同じ理由

「Kを失う」ことが共通します。

⑭先生がKの遺骨を遺族に渡さなかった理由

Kを永久に自分の手元に置いておきたかったから。

⑮「恐ろしい影」「不可思議な恐ろしい力」とは何のことか

同性愛の性的衝動のこと。

参考記事です。

ゲイには二六歳くらいに目覚めたと言ってたと思うんですけど。学生時代は勉強しかしていなかったって。

先生の苦悩(生きづらさ)と自殺も同性愛が原因です。

 

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夏目漱石がこのような小説を書いたとは信じられないかもしれませんが、『こころ』と似た小説を現代作家が書いていたとすれば、あるいはオスカー・ワイルド(1854-1900)が書いていたとすれば、この解釈に納得するでしょう。

漱石は知人への書簡に

余は吾分を以て百代の後に伝えんと欲するの野心家なり。

出来得べくんば百年後に第二の漱石が出て第一の漱石を評してくれればよいとのみ思い居候。

と記していましたが、実際、百年後にならないと理解できないような小説を書いていたのです。