論評するに値しない誤読の一例です。

夏目漱石の「こころ」は"愛"と"友情"の葛藤を描いた名作として知られ、教科書に載っています。しかしながら、僕には、登場人物のひとりである「先生」が、歪んだ自己愛にまみれ、友人の「K」をはじめ、周囲の男性をマウンティングし続けただけの小説にしか読めない。それも、女性を道具に使ったりしているところが許せません。

人生をかけて周囲の男性を威嚇し続けた先生。自分を慕う女性もその道具にして。終始、胸糞悪い小説です。

石原千秋が朝日新聞の「漱石こころ100年」特集で

「身体論や都市論など、新しい方法が入ってくるとまず漱石で試し切りした。当時の社会現象や風俗、知識人の感性を書き込んだ漱石の作品は、何度でも読み替えできる手がかりを与えてくれる。新しい研究の実験場だった」

と語っていましたが、このホストも近頃はやりの「マウンティング」で読み替えているだけです。

しかし、先生が私にマウンティングしていなかったことは

[上・四]

先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素気ない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止せという警告を与えたのである。他の懐かしみに応じない先生は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。

から明らかです。

Kに対してもマウンティングとは逆に、畏敬の念とコンプレックスを抱いていました。

[下・十九]

私は心のうちで常にKを畏敬していました。

[下・二十九]

容貌もKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。どこか間が抜けていて、それでどこかに確かりした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。学力になれば専門こそ違いますが、私は無論Kの敵でないと自覚していました。

先生の不満は、畏敬するKが自分を振り向いてくれないことでした。

[下・二十九]

私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒い漆で重く塗り固められたのも同然でした。私の注ぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、悉く弾き返されてしまうのです。

小説を読んで何を感じるかは個人の自由ですが、自分の読解力不足を棚に上げて「人生をかけて周囲の男性を威嚇し続けた先生」と決め付けて、「終始、胸糞悪い小説」と酷評するのは“本好き”の態度とは思えません。「漱石をマウンティングする俺ってかっこいい男だろう?」と読者にマウンティングしているだけです。

"自死ブーム"の先頭を走ることで「かっこいい男だろう?」と「私」をマウンティングしたようにしか見えません。

さらに、「『こころ』は男が女を対等に扱わない性差別的な小説」と批判することで、「健全で新しいジェンダー観」を持つ自分を女性客にアピールしています。

でも僕、いつかやめたいんです、このシステム。女性を楽しませると言いながら、背後にはマウンティングを利用したビジネスモデルがある。理想は、もっと男女が対等な立場でお酒を飲める場所にすることです。

「こころ」が教科書から消えて、ホストクラブが今の競争システムをやめる。男性がマウンティング中心の男社会の夢から覚めて、女性を対等な存在として認識する。そんなことが実現した時、日本人はもっと健全で新しいジェンダー観を手に入れているのではないでしょうか。

このカリスマホストは自分語りと女性客を釣るために色々な本を利用しているだけであり、このような低レベルの妄言を大々的に連載した上に書籍化までするメディアにも問題があります。

***********

『こころ』は、人間心理には本人が意識していないの部分があることを描いた作品です。

[下・五十四]

私の胸にはその時分から時々恐ろしいが閃きました。

[下・五十五]

いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしいは、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。

私の後ろにはいつでも黒いが括ッ付いていました。

そのが、先生の謎めいた言動の原因です。

  • Kに異常に執着した
  • Kのお嬢さん(静)への恋を妨害した
  • 妻(静)と心を一つにできない
  • 子供はいつまで経っても生まれない(天罰だから)

先生はKとは「どこまでも結び付いて離れない」のに、妻とは心を一つにできないのはなぜでしょうか?

[下・五十二]

つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。

[下・五十四]

妻はある時、男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかといいました。

作品中では明示されていない「」の正体を読み解いてください。「『先生』が、歪んだ自己愛にまみれ、友人の『K』をはじめ、周囲の男性をマウンティングし続けただけの小説」ではないことがわかるでしょう。