想平さんの質問・異見への回答です。

従来説の、「Kも先生も静に惹かれており先生が出し抜いたせいでKが自殺した」となれば、まずKという1人の人間を間接的に殺した先生の人格が疑われます。それは、静が先生を愛し信じる感情を傷つけます。また、「私静が最初から先生だけにはっきりと好意を示していれば、Kが死ぬことはなかった..」という後悔、罪の意識、純白ではなく暗い影を落とすはずです。

そのため先生には静にまで後悔させたくないという思いがあったと考えます 

夫(先生)が親友Kを自殺に追い込んでしまったことが「暗黒な一点」になるのではないか、という見解ですが、先生が秘密にしたい「一点」が別物であることは[真相]で解明した通りです。

[下・五十二]

私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。

[下・五十四]

しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻に対して非常に気の毒な気がします。

静にとってのKは先生の友人であるだけの「どうでもいい人」であり、先生のKへの仕打ちも「多少義理をはずれても自分だけに集注される親切」と受け取れるので、心理的ダメージにはなりません(もちろん、いい気はしないでしょうが)。

[下・五十四]

女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われますから。 

もう一つの質問・異見にも回答します。

奥さんとお嬢さんがぐるだったら、絶体絶命というのは、お嬢さんも奥さんも金目当てで愛がないということになるからではありませんか。女性に踏み出せない先生は静を恐れると同時に、神聖な恋心を抱いている。憧れの対象?の静も叔父のような金に流される人格だったらば、人間不信から救った神聖な愛が崩れるという絶対絶命、お嬢さんが私を全く愛していないならば生きられないという絶対絶命ではないですか。先生が女性に対し肉の愛を持てずとも、静だけには神聖な愛を見出したのでしょうから。

その箇所です。

[下・十五]

私の煩悶は、奥さんと同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうかという疑問に会って始めて起るのです。二人が私の背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだろうと思うと、私は急に苦しくって堪らなくなるのです。不愉快なのではありません。絶体絶命のような行き詰まった心持になるのです。それでいて私は、一方にお嬢さんを固く信じて疑わなかったのです。だから私は信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしまいました。私にはどっちも想像であり、またどっちも真実であったのです。

先生の過去の行動を読み解くカギは、無意識に潜む本心を、表の意識がそれらしく理由付けしているところにあります。この時点では結婚を申し込まない理由を「お嬢さんが策略家の可能性」にしていますが、Kが来た後ではその理由が変わっています。つまり、結婚拒否が先にあって、理由は後付けなのです。

[下・三十四]

私はそれまで躊躇していた自分の心を、一思いに相手の胸へ擲き付けようかと考え出しました。私の相手というのはお嬢さんではありません、奥さんの事です。奥さんにお嬢さんを呉れろと明白な談判を開こうかと考えたのです。しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延ばして行ったのです。そういうと私はいかにも優柔な男のように見えます、また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。Kの来ないうちは、他の手に乗るのが厭だという我慢が私を抑え付けて、一歩も動けないようにしていました。Kの来た後は、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです。恥を掻かせられるのが辛いなどというのとは少し訳が違います。こっちでいくら思っても、向うが内心他の人に愛の眼を注いでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。世の中では否応なしに自分の好いた女を嫁に貰って嬉しがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく呑み込めない鈍物のする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠な愛の実際家だったのです。

先生の表の意識には「結婚するのが当たり前」「静に神聖な愛を感じる」「静も自分に好意を持っているらしい」があるものの、無意識では結婚を拒否しているため、その葛藤を合理化するために、表の意識がそれらしい理由を見つけ出していたのです。これも当時の心理学に基づいたものです。

問題とされている行動・感情について、その事実を述べることを避けるために、一見すると合理的で論理的な正当化して述べることである。

アンビバレンスとは、ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すことである。

二つの感情のうち、一方が(とりわけ「望ましくない」などとされがちな面)が無意識下に抑圧され、それがその人の行動に様々な影響を与える、だとか、この状態が昂じると、葛藤状態に陥り、神経症の原因となることもある、と説明されることがある。

次の部分は、アンビバレンツの描写そのものです。

[下・十六]

「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸み渡らないうちに烟のごとく消えて行くのです。私はその上無口になりました。それを二、三の友達が誤解して、冥想に耽ってでもいるかのように、他の友達に伝えました。私はこの誤解を解こうとはしませんでした。都合の好い仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合せとして喜びました。それでも時々は気が済まなかったのでしょう、発作的に焦燥ぎ廻って彼らを驚かした事もあります。 

無意識を納得させるために「静は金目当ての策略家」とすると、今度は表の意識を納得させられなくなります。そのため、先生は「信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしま」ったのです。Kを下宿に連れた来たのは、無言の結婚圧力を低下させて葛藤から逃れるためです。

[下・十八] 

私が何ともいわずに席を立ち掛けると、奥さんは急に改まった調子になって、私にどう思うかと聞くのです。その聞き方は何をどう思うのかと反問しなければ解らないほど不意でした。それがお嬢さんを早く片付けた方が得策だろうかという意味だと判然した時、私はなるべく緩くらな方がいいだろうと答えました。奥さんは自分もそう思うといいました。

奥さんとお嬢さんと私の関係がこうなっている所へ、もう一人男が入り込まなければならない事になりました。その男がこの家庭の一員となった結果は、私の運命に非常な変化を来しています。もしその男が私の生活の行路を横切らなかったならば、おそらくこういう長いものをあなたに書き残す必要も起らなかったでしょう。私は手もなく、魔の通る前に立って、その瞬間の影に一生を薄暗くされて気が付かずにいたのと同じ事です。自白すると、私は自分でその男を宅へ引張って来たのです。