オリエンタルラジオの中田敦彦が「YouTube大学」で『こころ』を解説していましたが、『こころ』の最も面白いところは、現代人が読んでも理解できないことという結論だけでなく、事実関係も誤りだらけだったので主な点を列挙します。

こちらの記事にも書きましたが、客観的事実を読み取れていない人の解釈は信用しないように。

前編

全体の1/3以上を遺書が占める。

『こころ』は上「先生と私」が36、中「両親と私」が18、下「先生と遺書」が56の計110のパートから構成されており、先生の遺書は1/2強を占めています。数学的には1/3でも1/10でも誤りではありませんが、国語的には1/2と言った方がよいでしょう。

鎌倉の海岸で見掛けた先生には妙に引かれる影があり、博識だったので魅かれた。

これは、その後の展開を知った後知恵による誤りです。鎌倉での先生は連日海で精力的に泳ぎ、私ににやにや笑って話しかけるなど、東京での鬱的な雰囲気とはまるで別人です。西洋人と会話していることから高等教育を受けたインテリであるとの見当はつくものの、深刻な秘密を抱えた人物であるようには描かれていません。

ここで注目すべきは下線部の私の行動です。この時の推定年齢は私20歳、先生32歳です。

[上・二]

彼はやがて自分の傍を顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言二言何かいった。その日本人は砂の上に落ちた手拭を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなわち先生であった。

私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿を見守っていた。すると彼らは真直に波の中に足を踏み込んだ。そうして遠浅の磯近くにわいわい騒いでいる多人数の間を通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳ぎ出した。彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻って来た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身体を拭いて着物を着て、さっさとどこへか行ってしまった。

彼らの出て行った後、私はやはり元の床几に腰をおろして烟草を吹かしていた。その時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人か想い出せずにしまった。

その時の私は屈托がないというよりむしろ無聊に苦しんでいた。それで翌日もまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋まで出かけてみた。すると西洋人は来ないで先生一人麦藁帽を被ってやって来た。先生は眼鏡をとって台の上に置いて、すぐ手拭で頭を包んで、すたすた浜を下りて行った。先生が昨日のように騒がしい浴客の中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急にその後が追い掛けたくなった。私は浅い水を頭の上まで跳かして相当の深さの所まで来て、そこから先生を目標に抜手を切った。すると先生は昨日と違って、一種の弧線を描いて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。それで私の目的はついに達せられなかった。私が陸へ上がって雫の垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちゃんと着物を着て入れ違いに外へ出て行った。

[上・三]

私は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶をする場合も、二人の間には起らなかった。その上先生の態度はむしろ非社交的であった。一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲がいくら賑やかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。最初いっしょに来た西洋人はその後まるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。

先生が女であれば、現代では確実にストーカー認定されるでしょう。勝手に「運命の人」と思い込むストーカー的心理だとすれば、第三者には理解困難でも不思議ではありません。

さらに、先生と初めて言葉を交わした翌日の異様にハイになってはしゃいでいるシーンを実写映像としてイメージすれば、魅かれた理由の見当がつくでしょう。

[上・三]

次の日私は先生の後につづいて海へ飛び込んだ。そうして先生といっしょの方角に泳いで行った。二丁ほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広い蒼い海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外になかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已めて仰向けになったまま浪の上に寝た。私もその真似をした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した

先生の見方も参考になります。

[上・十三]

「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでにで動いているじゃありませんか」

私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何にもなかった。

「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」

「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」

「今それほど動いちゃいません」

「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」

「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」

に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」

「私には二つのものが全く性質を異にしているように思われます」

「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」

最初に先生の奥さん(静)に会った時、静が「主人がお世話になっている」と言った。

言っていません。

[上・四]

すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。

私はその人から鄭寧に先生の出先を教えられた。先生は例月その日になると雑司ヶ谷の墓地にある或る仏へ花を手向けに行く習慣なのだそうである。「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます」と奥さんは気の毒そうにいってくれた。私は会釈して外へ出た。

雑司ヶ谷の喫茶店で待っていたら先生に偶然に会った。

道を歩いていたら先生が茶店から出てきたので声を掛けた。

[上・五]

私は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡の縁が日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。

[中]で父親の具合が悪いために実家に呼び戻された。

[上・三十二]で大学を卒業したので帰郷した。

[上・三十六]

卒業したら新しい鞄を買って、そのなかに一切の土産ものを入れて帰るようにと、わざわざ手紙の中に書いてあった。私はその文句を読んだ時に笑い出した。私には母の料簡が解らないというよりも、その言葉が一種の滑稽として訴えたのである。

私は暇乞いをする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽車で東京を立って国へ帰った

在学中のこの箇所と混同しているのでしょう。

[上・二十一]

冬が来た時、私は偶然国へ帰らなければならない事になった。私の母から受け取った手紙の中に、父の病気の経過が面白くない様子を書いて、今が今という心配もあるまいが、年が年だから、できるなら都合して帰って来てくれと頼むように付け足してあった。

先生から届いた分厚い手紙を母親が就職の斡旋の件かと思った。

手紙ではなく、それ以前に届いた電報。

[中・十二]

悲痛な風が田舎の隅まで吹いて来て、眠たそうな樹や草を震わせている最中に、突然私は一通の電報を先生から受け取った。洋服を着た人を見ると犬が吠えるような所では、一通の電報すら大事件であった。それを受け取った母は、はたして驚いたような様子をして、わざわざ私を人のいない所へ呼び出した。

「何だい」といって、私の封を開くのを傍に立って待っていた。

電報にはちょっと会いたいが来られるかという意味が簡単に書いてあった。私は首を傾けた。

「きっとお頼もうしておいた口の事だよ」と母が推断してくれた。

[中・十三]

私の書いた手紙はかなり長いものであった。母も私も今度こそ先生から何とかいって来るだろうと考えていた。すると手紙を出して二日目にまた電報が私宛で届いた。それには来ないでもよろしいという文句だけしかなかった。私はそれを母に見せた。

「大方手紙で何とかいってきて下さるつもりだろうよ」

母はどこまでも先生が私のために衣食の口を周旋してくれるものとばかり解釈しているらしかった。

後編

先生が叔父に親の遺産の管理を任せたのは忙しかったため。

東京の第一高等学校への進学で地元を不在にするため。

叔父が遺産を全部独り占めにした。

叔父は事業の失敗を挽回するために流用した。先生が取り戻したのはごく一部だったが、それでも利子所得だけで十分に生活できる額だった。

[下・九]

私の受け取った金額は、時価に比べるとよほど少ないものでした。自白すると、私の財産は自分が懐にして家を出た若干の公債と、後からこの友人に送ってもらった金だけなのです。親の遺産としては固より非常に減っていたに相違ありません。しかも私が積極的に減らしたのでないから、なお心持が悪かったのです。けれども学生として生活するにはそれで充分以上でした。実をいうと私はそれから出る利子の半分も使えませんでした。

取り戻した財産は一生働かずに生活していける額なので、現代の貨幣価値に換算すると数億円、遺産総額は数十億円はあったと推定できます。

親族中から追放されるような形で逃げるように家を出た。

仲裁しようとした親戚を敵視したのは先生の方で、先生は自分から故郷を捨てる決心をした。

[下・九]

私と叔父の間に他の親戚のものがはいりました。その親戚のものも私はまるで信用していませんでした。信用しないばかりでなく、むしろ敵視していました。私は叔父が私を欺いたと覚ると共に、他のものも必ず自分を欺くに違いないと思い詰めました。父があれだけ賞め抜いていた叔父ですらこうだから、他のものはというのが私の論理でした。

それでも彼らは私のために、私の所有にかかる一切のものを纏めてくれました

私は永く故郷を離れる決心をその時に起したのです。叔父の顔を見まいと心のうちで誓ったのです。

私は国を立つ前に、また父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。

Kの親の稼業は医者。

Kは浄土真宗の寺の僧侶の次男で、中学時代に医者の養子になった。しかし、養親の期待に背いて医科ではなく文科に進学したため、養子縁組解消→実家に復籍→勘当となった。

ボロボロになっていたKは先生の誘いに「俺も行けるならどこだっていい」と応じて下宿に来た。

致命的な誤読で、Kは厳しい生活を続けることにこだわったので、先生は必死に説得してなんとか連れて来ました。中田の説明では、Kが自殺に至る「心」を全く理解できなくなります。

[下・二十二]

私は彼に向って、余計な仕事をするのは止せといいました。そうして当分身体を楽にして、遊ぶ方が大きな将来のために得策だと忠告しました。剛情なKの事ですから、容易に私のいう事などは聞くまいと、かねて予期していたのですが、実際いい出して見ると、思ったよりも説き落すのに骨が折れたので弱りました。Kはただ学問が自分の目的ではないと主張するのです。意志の力を養って強い人になるのが自分の考えだというのです。それにはなるべく窮屈な境遇にいなくてはならないと結論するのです。普通の人から見れば、まるで酔興です。その上窮屈な境遇にいる彼の意志は、ちっとも強くなっていないのです。彼はむしろ神経衰弱に罹っているくらいなのです。私は仕方がないから、彼に向って至極同感であるような様子を見せました。自分もそういう点に向って、人生を進むつもりだったとついには明言しました。(もっともこれは私に取ってまんざら空虚な言葉でもなかったのです。Kの説を聞いていると、段々そういうところに釣り込まれて来るくらい、彼には力があったのですから)。最後に私はKといっしょに住んで、いっしょに向上の路を辿って行きたいと発議しました。私は彼の剛情を折り曲げるために、彼の前に跪く事をあえてしたのです。そうして漸との事で彼を私の家に連れて来ました

先生は静を本当に好きなのか自分でもわからなかった。

先生の静への愛は「心の愛」であり、性欲すなわち「体の愛」は皆無でした。先生の「肉体の愛」が誰に向かっていたのかが読解のカギです。

[下・十四]

もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕まえたものです。私はもとより人間として肉を離れる事のできない身体でした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭いを帯びていませんでした

お嬢さんに対して、肉の方面から近づく念の萌さなかった私は、その時入らぬ心配だと思いました。

Kが静を好きだと聞いたら静を渡したくないと思った。

これもよくある錯覚で、そのような記述は一切ありません。先生はひたすら「Kに恋を諦めさせる」ことばかり考えていました。

先生はKが静に恋していることを知ってから数日後に奥さんに静との結婚を申し込んだ。

数日ではなくもっと日数が経過しています。その間に重要な「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」のやり取りがあります。

奥さんは「娘に確認しておくよ」と言った。

言っていません。

[下・四十五]

本人の意嚮さえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。

先生が自殺した根本原因は、自分の行動が結果的にKを自殺させてしまったことに対する罪の意識。

一応、これが定説になっていますが、吉本隆明が『夏目漱石を読む』で「現実的にはありえないのではないか」と疑問を呈したように、あまりにも不自然です。

読者のほうからこの『こころ』という作品をかんがえてみて異常だとおもえるところがあります。それは一人の女性をめぐる愛で仲のいい友達を出し抜いてしまって、親友がそのためかどうかはほんとうはよくわからないで、たぶんそのこともあったために自殺したという出来ごとがあったとして、それが生涯の罪障感になるといったことが人間にありうるだろうかということです。つまり、その程度のことで生涯にわたり罪の意識を抱いて、そのあげくに自殺してしまうというのは、どうも現実的にはありえないのではないか。そういう疑問を感じないことはありません。

多くの読者が読み落としているようですが、先生の遺書には、自殺の真因が「自分の卑怯な言動のためにKが自殺してしまったことへの罪の意識」ではなく、Kの自殺から数年後(その時分)に自覚した「恐ろしい影」「物凄い閃き」「そうした心持」「暗黒な一点」「不可思議な恐ろしい力」であることが明記されています。『こころ』はそれらが具体的に何を意味するかを解明する心理ミステリなのです。

[下・五十四]

私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃きました。初めはそれが偶然外から襲って来るのです。私は驚きました。私はぞっとしました。しかししばらくしている中に、私の心がその物凄い閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでいるもののごとくに思われ出して来たのです。私はそうした心持になるたびに、自分の頭がどうかしたのではなかろうかと疑ってみました。けれども私は医者にも誰にも診てもらう気にはなりませんでした。

私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。

私がそう決心してから今日まで何年になるでしょう。私と妻とは元の通り仲好く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻に対して非常に気の毒な気がします。

[下・五十五]

「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟で躍り上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと抑え付けるようにいって聞かせます。すると私はその一言で直ぐたりと萎れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何で他の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷やかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。

波瀾も曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。妻が見て歯痒がる前に、私自身が何層倍歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。私がこの牢屋の中に凝としている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟私にとって一番楽な努力で遂行できるものは自殺より外にないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼を睜るかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。

『こころ』の最も面白いところは、現代人が読んでも理解できないこと。

乃木大将は集団本位的自殺、先生とKは自己本位的自殺とタイプが異なるので、完全に的外れです(下のデュルケームの記事を参照)。現代人が乃木大将の殉死を理解することは難しくなっているものの、孤独や疎外が原因の自殺は社会問題になっています。漱石は同時代人に理解されないことは承知の上で、百年後の読者を意識して書いていた作家であり、『こころ』もむしろ現代人だから理解できる内容なのです。

[上・十四]

私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」

"I have always thought about death. Looking back on my earliest memories, it's always been in my thoughts. It's a permanent suffering, like being a prisoner in my own body."

読解のヒント

『こころ』に隠された謎を解明するヒントの一つが静と私のこの会話です。

[上・十九]

「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好いお友達が一人あったのよ。その方がちょうど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」

奥さんは私の耳に私語くような小さな声で、「実は変死したんです」といった。それは「どうして」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。

「それっ切りしかいえないのよ。けれどもその事があってから後なんです。先生の性質が段々変って来たのは。なぜその方が死んだのか、私には解らないの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれどもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」

「その人の墓ですか、雑司ヶ谷にあるのは」

「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪らないんです。だからそこを一つあなたに判断して頂きたいと思うの」

私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。

私の判断は「親友ではない→親友以上に重要な存在」となりますが、それでは先生にとってKはどのような存在だったのでしょうか。

先生が静を含め女に全く性欲を抱かなかったことと、子供はできこっこないことは関係あるでしょうか。

[上・八]

「子供はいつまで経ったってできっこないよ」と先生がいった。

奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。

[上・十]

「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。

先生と西洋人の関係や、私が海岸で見掛けた年上の男性を連日付け回す不審行動を取ったことも含めて推理してください。

デュルケームとフロイト

『こころ』では先生・K・乃木大将の三人が自殺していますが、Kと先生は自己本位的自殺、乃木は集団本位的自殺です。

このことに気づいたデュルケームは、あと三年で十九世紀が終わるという年に公刊された本書で、自殺を規定する社会的要因を基準に自殺は三つのタイプに分けられると論じた。着眼した要因は、社会的連帯(つまり絆)の強さである。

第一に自己本位的自殺。個人が共同体から切り離され、孤立したことに由来する自殺である。プロテスタントの自殺率が高いのは、このタイプの自殺が多いからだ。プロテスタントはカトリックより個人主義の傾向が強いのだ。第二に集団本位的自殺。殉死や殉教のように、他者や集団の大義のための自殺である。

先生とKは故郷の親族共同体から切り離され、孤立していました。Kは実家が浄土真宗の寺だったこと、先生は静と結婚しても心が一つの「夫婦」になれなかったことが孤独感と関係しています。

[下・五十三]

私は寂寞でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。

私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。

もっとも、デュルケームの自殺分類は『こころ』のサブテーマで、メインテーマはフロイトの「無意識」です。先生の「胸の底に生れた時から潜んでいるもの」とは一体何でしょうか。

デュルケームと同じ頃、フロイトが「無意識」を発見した。「社会」と「無意識」の間には結びつきがある。通常の意識的な思考と異なるところにもう一つの思考や意志があるかのように見えるという点で、両者は共通しているのだ。