『こころ』には「男女の認識のずれ」も描かれています。

男と女では同じ状況でも受けとり方がまったく違うため、意思疎通がうまく行かなかったり、誤解が生じる。そうした男女の認識のずれはドラマや小説の格好の題材になる。男と女が会って、楽しく会話する。男のほうは「彼女、俺に気があるな」とうぬぼれているが、女はただ感じよく接しているだけで、まったくそんなつもりはない。あなたが男であれ女であれ、現実にあったそんな行き違いを一つや二つは思いだすのではないだろうか。

それをただの「ありがちな話」や個人的な体験として片付けずに、実験をして確かめた研究がある。男性と女性に五分間ほど会話をさせる。本人たちに気づかれないように、その様子を別室でもう一組の男女に観察させる。その後に感想を聞くと、会話をした当人も観察していた側も、男性二人は、会話者の女性が相手を性的に誘うような態度をみせたと言うが、女性の会話者はそんなつもりはないと言い、女性の観察者もそうした印象は受けなかったという。また、男性の会話者の多くは女性の会話者に性的に引かれたと言うが、女性の側は相手に性的に引かれることはそれほど多くない。

お嬢さんはKと部屋で二人きりで会話したり、カルタで味方したりします。

[下・三十二]

そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに宅にいる時でも、よくKの室の縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。・・・・・・ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。

[下・三十五]

私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方Kを軽蔑するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。 

お嬢さんは「ただ感じよく接しているだけで、まったくそんなつもりはない」、あるいは先生の関心を引くためにKを利用しているだけなのですが、

[下・三十四]

お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで無邪気にやるのか、そこの区別がちょっと判然しない点がありました。・・・・・・私はそれをKに対する私の嫉妬に帰していいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と見傚してしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。 

女慣れしていないKは「お嬢さんは自分に好意を持っている」ととってしまった可能性が高いと思われます。一方、先生はお嬢さんがKを当て馬にしていることを「技巧」ではないかと疑っていたわけです。

こちらの回答No.4でA―お嬢さん、B―先生、C―Kに相当します。

もっとも、『こころ』にはもう一捻りあります。先生が結婚を申し込んだのは「Kとお嬢さんが結ばれる」ことを阻止するためですが、それが「お嬢さんをKに取られない」ではないところが『こころ』の面白さです。