英文学者の宮崎かすみ(和光大学表現学部総合文化学科教授)は『新編 獄中記』の編訳者まえがきとあとがきで、オスカー・ワイルドの『獄中記』 が『こころ』の先生の遺書の元ネタではないかと指摘しています(→当ブログの関連記事)。


この物語を書いたオスカー・ワイルドは、男性を愛したがゆえに、栄光の絶頂から奈落の底へ転落し、同性愛の殉教者ともいえる悲劇的な晩年を送った作家である。

じつは本書を翻訳するなかで、思わぬ発見があった。「まえがき」で少し触れたが、「獄中記」が、漱石の『心』における先生の手紙の発想源になっているのではないかと気づいたのである。どちらも年長のメンターから年若き弟子に宛てた自分語りである。そして手紙とは思えないほどの異様な長さ。内容にこそあまり似たところはないものの、「こんな長いものをあなたに書き残す必要も起こらなかったでしょう」(『心』下・十八)とか、「記憶して下さい」(同、下・五十五)といった表現は、「獄中記」と呼応する。ワイルドの手紙が、こんな形で日本近代文学の正典に影響を与えているとは、日本に憧れていたワイルドのために快哉を叫びたい気分である。

両者にはもっと本質的なところに共通点があります。先生はワイルドのように投獄されてはいないものの、牢屋に入れられているような心持で生きていました(36歳で自殺)。

[下・五十五]

私がこの牢屋の中に凝としている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟私にとって一番楽な努力で遂行できるものは自殺より外にないと私は感ずるようになったのです。

この安楽死を希望するベルギー人の男性(取材当時39歳)も、先生とよく似た心境を語っています。

"I have always thought about death. Looking back on my earliest memories, it's always been in my thoughts. It's a permanent suffering, like being a prisoner in my own body," he says.

30代の終わりに北朝鮮から韓国に亡命したJang Yeong-jin(장영진)も同様です。

“It was then that I realized that my life was a prison and I had no hope,” he said. “I wanted to fly away like a wild goose. I also wanted to set my wife free from loveless marriage.”

この二人を囚人のような心持にしていたのは同性愛です。自分が同性愛者だと自覚しているベルギー人は人生から逃げたいと思い、自覚していなかった장は自分と妻の解放を求めて北朝鮮から逃げ出しました。

先生を苦しめていた「秘密」が同性愛だと気付けば、『こころ』はクリアに読み解けます。장のセックスレス夫婦生活や、幼馴染の男性Seon-cheol(선철)を思い出してしまうことなども先生と酷似しています。

“Most gay men in the North end up marrying whether they like it or not, because that’s the only way they know,” Mr. Jang said. “On the first night of my marriage, I thought of Seon-cheol and could not lay a finger on my wife.”

[下・五十二]

ところがいよいよ夫として朝夕妻と顔を合せてみると、私の果敢ない希望は手厳しい現実のために脆くも破壊されてしまいました。私は妻と顔を合せているうちに、卒然Kに脅かされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映ります。映るけれども、理由は解らないのです。

子供ができないのはセックスレスだから、セックスレスなのは先生がgayだから、天罰なのは同性愛(が原因で招いた不幸)に罪の意識を感じているからです。

[上・八]

「子供はいつまで経ったってできっこないよ」と先生がいった。

奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。 

『獄中記』と先生の遺書は「内容にこそあまり似たところはない」ものの、本質の「牢屋に入れられている理由」が共通しているのです。

漱石は「模倣と独立」でこのように述べていますが、『獄中記』が『こころ』のヒントの一つになっていることはほぼ確実と考えられます。

繰り返して申しますが、イミテーションは決して悪いとは私は思っておらない。どんなオリヂナルの人でも、人から切り離されて、自分から切り離して、自身で新しい道を行ける人は一人もありません。画かきの人の絵などについて言っても、そう新しい絵ばかり描けるものではない。ゴーガンという人は仏蘭西フランスの人ですが、野蛮人の妙な絵を描きます。仏蘭西に生れたけれども野蛮地に這入って行って、あれだけの絵を描いたのも、前に仏蘭西におった時に色々の絵を見ているから、野蛮地に這入ってからあれだけの絵を描くことが出来たのである。いくらオリヂナルの人でも前に外の絵を見ておらなかったならば、あれだけのヒントを得ることは出来なかったと思う。ヒントを得るということとイミテートするということとは相違があるが、ヒントも一歩進めばイミテーションとなるのである。しかしイミテーションは啓発するようなものではないと私は考えている。

想像を逞しくすれば、冒頭に登場する西洋人はオスカー・ワイルドをイメージしているのかもしれません。これに根拠が無いとは言えないのは、先生が西洋人を「風変り」と評しているためです。エドウィン・マクレランは「風変り」を"eccentric"と訳していますが、ワイルドもそのeccentricなスタイルで知られていた人物です。

『こころ』には他にも英小説の元ネタがあります。漱石はそれらをヒントにしたことが一読ではわからないほどオリヂナルでインデペンデントな作品に仕上げた作家だったのです。

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先生と私はメンターと弟子の関係ではありません。私が恋の熱に浮かされて付きまとっていただけです。

[上・十三]

「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」

[上・十四]

「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめると厭になります。私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります」